Mark Fry / Dreaming With Alice
アシッドフォークファンには言わずと知れたMark Fryの1stであり傑作。どこまでも優しい幻想的アシッドフォーク。ジャケットに映っている少女に子守唄の様に繰り返し聴かせるために、Dreaming With Aliceを繰り返し録音したというエピソードがあるらしい。再発CDのボーナストラックとして収録されているDoesn't Matter To Me If It Rainsが白眉かと思う。雨に纏わる歌は大体名曲という個人的な偏見があるが、この曲も例外では無いというか。
鷲巣繁男 / 鷲巣繁男詩集
「やがて果樹園を吹き抜けた夜が、伽藍の空洞に化石になるのを待つてゐる天使らを包むとき、蜥蜴の夢だけが、この世の連帯の虹色をステンドグラスに燃やすだらう。」(死者たちへの手帖)
「遠くで角笛がする。羊たちが目覚めるころだ。そして、わたしは凡ての罪を秤る。」
「わたしには終りはない。あのひとは完璧となるだらう。」(ユダ・イスカリオテの祈り)
「わたしの眠りに海は遠く、夜はすべての襞を浸す。年老いた石たちの記憶、神の亀裂。人間の橾宴を象りつつ、やがて永遠の沈黙の中で、それらは沙漠へ流れ去るであらう。果しない苦悩を、純粋の神をも、運び去るであらう。」
「張りつめられたわたしの星座は、広大な宇宙の中で雄々しく緊張に堪へながら、なお、失墜するサタンの予感にふるへている。」(ネストリウスの夜)
「ぼくらが寄り添ふとき、ぼくの罪はきみに伝はる。きみの悪はぼくの皮膚を浸す。だが、ぼくの苦悩はぼくの中をただ循環し、ぼくの声、ぼくの言葉は外皮の上で、戯れ唱ふのみだ。」(戦士・眩暈者・昏睡者ダニールのためのシャンソン)
塚本邦雄 / 塚本邦雄全集一巻
「くりかえし翔べぬ天使に讀みきかす 白葡萄醒酸製法秘傅」
「湖の夜明け、ピアノに水死者のゆびほぐれおちならすレクイエム」
「てのひらの傷いたみつつ裏切りの季節にひらく十字科の花」
「夜のつぎにくるはまた夜、かなしげな魚の眼の中に燈ともせ」
「翅あはすやうに両掌をあはせつつ君かへる日を花にいのりし」
「春天に白き飛機あり。牝鶏のやうに穢れてゐるイブの末裔」(水葬物語)
「堕天國のさま夕ひばりましぐらに靑年うしなはれゆくばかり」
「わが愛のかたへの立ちて馬の目のこほる紫水晶體よ」
「孔雀の屍はこび去られし檻の秋のここに流さざりしわが血あり」
「ほほゑみに肖てはるかなれ霜月の火事のなかなるピアノ一臺」
「メニエル症候群靉靆と木犀のにほふ くるはざる死へのあゆみ」
「とどこほる血の紅梅のつぼみ満つ おくるるはわがこころの死」
「わかものはよひの白雨に立ち沐浴む時間の果てのその靑裸」
「秋昏るる静脈のあゐ 詩を視るは火を睹るよりもおぼろなるかな」
「おとうとの殺意さへぎる恩寵と曇天の薄き膜をたまふ」(感幻樂)
「棕櫚の縄曳き電柱を攀づるもの、青年科・無翼堕天使類」
「わかものの病む眼のなかのひるの星****Laclos,L'Isle-Adam,Lonys,Lawrence」
「薔薇たとへば死後の時間のすみやかに經つゲルマンの直系の藍」
「合鏡の世界に髭剃ればわれとワーグナーの逢ひかず知れず」
「愛の創めに呪はるる者花菖蒲 禁食の胎 水に漂ひ」
「わかものよ汝の脚よりややながき姦淫の神話こよひ語らむ」
「あやまちてめとりし天使かたはらに髭もて織れる紫の網」
「神空に治しめさざる野の夜をグラジオラスが類ひなき花序」
「汝の眼底にわれ死すパルジファル蒼き花冠のごと擁かしめ」(緑色研究)
浦邊雅祥 / 我は聖代の狂生ぞ
ロートレアモンの影響を感じる優れた日本のインプロヴィゼーション。所謂ゴスでは無く、文学由来の本来的なゴシック性を感じる。間の感覚と透き通ったアルトのトーン、鎖を鳴らす音ですら表現に変える表現力が素晴らしいと思う。十代の頃愛聴していた。1stLPも所有していたが知人に貸す中で紛失してしまった。
タル・ベーラ / サタンタンゴ
黙示録性とディストピア性、ハンガリー社会の寓話としての物語。劇中で実際に黙示録が提示される。
ラストの存在しない教会の鐘の音と医師のモノローグが被さるシーンが美しい。教会の鐘の音とダーク・アンビエント、白痴めいたタンゴ以外の劇中音楽は存在しない。
デヴィッド・リンチへのダーク・アンビエントと長回しを用いたオマージュと廃墟と少女という印象的なシーンでのアンドレイ・タルコフスキーのノスタルジアへのオマージュを観測した。劇中でのダーク・アンビエントの採用はリンチの影響だろうし、映像にノスタルジアの影響がある気がする。
少女が猫と心中するシーンで何故か美しさを感じてしまった。
頭にチーズパンを乗せた男のシーンは諧謔とユーモアの表現なのか?白痴めいたタンゴで村人が踊り狂うシーンが妙な感覚を伴って印象に残っている。それを見つめる少女の姿も。瞳が澄んでいた。
作中で殺される猫は獣医の監督の下で眠らされていただけらしい。安心した。
序盤と終盤で同じモノトーンでもレタッチの色彩とトーンをかなり変えていて、映像に対する繊細さが伺える。後半でリアリズムを強調しているというか。
ストーリーが抱える体制批判からタル・ベーラの反体制性が透けて見える気がする。その辺詳しくは無いが、ハンガリーの現状をある部分表しているのだと思う。
とにかく徹底した長回しの連続。1カットが10分を超える事もあった。その場で起きている事を全てカメラに収めたいという監督の哲学があるらしい。
フリオ・コルタサル / 対岸
「今や彼女にはすべて、すべてが可能なのだ。世界は彼女のものなのだから、その気にさえなれば。だが、恐怖と臆病が彼女の喉を締め付ける。魔女、魔女。魔女が行きつくのは地獄。」